どうも、ほたるです。
仕事で、同じことを何度も聞かれる日があります。
「これでいいですか」「どこにありますか」「前はどうやっていましたか」。一つひとつは大したことではありません。でも、それが一日に何度も続くと、自分の仕事が前に進まなくなります。
最初は、相手のやる気の問題だと思っていました。でも、よく見るとそうでもないんですよね。
ここでいう前提は、判断の前に共有されている情報のことです。何がどこにあり、何を基準に決め、次に何をするのか。その3つが揃っているかどうか、という意味で使います。
今回は、仕事の現場で感じたことを、家庭の話に持ち帰ってみます。場所は違っても、起きていることは同じだったからです。
- 聞かれるたびに、自分の手が止まる
- 説明しても、また同じことを聞かれる
- 気づけば、自分だけが全部を知っている状態になる
- 確認が増えるのは、やる気ではなく前提の問題
- 前提が揃わないと、詳しい人にコストが寄る
- 家庭には、仕事のような共有の場がない
- 教えるより、聞かなくても分かる状態を作る
仕事で「なんで聞いてくるんだろう」と思った日
私の仕事に、商品のマスターを直す作業があります。
品番や型番が登録されているのですが、これがかなり雑です。明らかに違う番号が入っていたり、同じ商品が別の名前で登録されていたりする。直すのは、たいてい私です。
最初は「なんでこんなこともできないんだろう」と思いました。でも、よく見ると、登録する人に基準が渡っていないんですね。何をどこまで揃えれば正しいのかが、明文化されていない。だから人によって、ばらつきが出ます。
マニュアルはあります。ただ、読まれません。読むより、詳しい人に聞いたほうが速いからです。これは、相手が怠けているという話ではありません。聞いたほうが早い状態になっていることが問題なんです。
教える側のコストも、想像より大きいです。一言の確認で終わればいいのですが、背景から説明すると、1回で10分くらい消えます。それが何人にもなると、自分の仕事はどんどん後ろにずれていきます。
会議でも、似たことが起きます。誰も喋らないので、私が補足する。補足すると、また別の人が質問する。気づけば、会議の半分は私の説明で終わっています。
ここで「みんな当事者意識が足りない」と結論づけるのは簡単です。でも、それでは何も変わりません。起きているのは、能力の差ではなく、前提の差なんですよね。
前提が揃っていないと、確認の往復が生まれる
前提が揃っていないと、まず確認が増えます。
「これでいいですか」が増え、その確認に対して私が答え、また次の確認が来る。この往復が、じわじわと時間を削っていきます。
そして、質問は詳しい人に集中します。詳しい人からすると、自分の仕事を止めて答えることになる。忙しいときほど、その負担は大きくなります。
さらに困るのは、属人化です。その人が休むと、仕事が止まる。止まると、また別の人が聞きに来る。悪循環ですね。
ここで大事なのは、質問が多い人を責めても変わらないということです。見えていない前提を、聞いて埋めているだけだからです。
確認が多いのは、やる気の問題ではない。判断の前に共有されるはずの情報が見えていないだけ。
だから、これは能力の問題ではなく、設計の問題なんですよね。誰が悪いということではなく、情報の置き方が悪い。
同じことが、家庭でも起きている
ここまでは仕事の話でしたが、家庭でも同じことが起きています。
たとえば、物の置き場所です。ハサミ、充電器、保証書、季節の道具。しまう場所が人によって違うと、「あれどこ?」が発生します。そして、その質問はだいたい同じ人に飛びます。
家事の段取りも似ています。何を先にやって、何を後回しにするか。冷蔵庫に何が入っていて、何を買い足す必要があるか。これが共有されていないと、買い物に行ってから「聞いてない」が出てきます。
旅行の準備もそうです。誰が何を持つのか、いつ何をするのか。決めている人が一人だと、その人が忘れた時点で全部止まります。
家庭の中でも、詳しい人が検索エンジンになります。聞けば答えてくれる。便利ですが、その人はずっと検索され続けます。
仕事と違うのは、家庭にはマニュアルも会議もないことです。前提を揃えるための場が、最初から用意されていません。
| 仕事 | 家庭 |
|---|---|
| マニュアルがある | マニュアルがない |
| 会議で揃える場がある | 揃える場がない |
| 役割が決まっている | 役割が暗黙になる |
| 評価や報酬がある | 評価や報酬がない |
仕事と家庭で、いちばん違うところ
仕事と家庭の違いは、前提を揃える仕組みがあるかどうかです。
仕事には、会議や研修、マニュアル、引き継ぎの時間があります。うまく機能しているとは限りませんが、少なくとも場は用意されています。
家庭には、その場がありません。忙しい日は、目の前のことを処理するだけで終わります。話す時間も、振り返る時間もない。
しかも、家庭には評価も報酬もありません。誰かが我慢して回している状態が、見えにくいまま続きます。
だから、家庭のほうが「言えばわかる」で済まされやすいんだと思います。仕事なら、一度は指摘されるかもしれません。家庭では、指摘するほどのことでもないと流されやすい。言えば、やってくれるからです。
家庭のほうが前提は揃いにくい。揃える場も、評価も、締切もないから。
ここで「家庭が回っていない」と言いたいわけではありません。私も、できていない側です。ただ、誰かの頑張りで成り立っている状態は、その人が倒れたときに止まります。それは、家族にとっても怖いことなんじゃないかと思います。
解決は「もっと教える」ではない
では、どうすればいいのか。
よく言われるのは「もっと教えよう」です。でも、教えるを増やすと、教える側の負担が増えるだけです。教える時間も、相手が覚える時間も必要になります。
私がいいなと思っているのは、逆の方向です。教えなくても分かる状態を、先に作る。
具体的には、3つあります。
1つ目は、情報を人から場所へ移すことです。物の定位置を決めて、ラベルを貼る。仕事なら、商品マスターの基準を1枚にまとめて、誰でも見られる場所に置く。家庭なら、旅行の持ち物リストを1枚作って、冷蔵庫に貼る。それだけで、聞かれる回数は減ります。
2つ目は、判断を減らすことです。選択肢を絞る、ワンアクションで終わるようにする。「どっちでもいい」をなくす。人は、選択肢が多いほど迷います。迷うと、聞いたほうが早くなる。
3つ目は、教える前提で設計することです。手順を1枚にまとめる。引き継ぎを前提に、作業を分解する。自分がいなくても回る形にしておく。これは、相手のためというより、自分のためでもあります。
仕事でも家庭でも、原理は同じです。詳しい人に集まっている情報を、場所と手順に移す。すると、確認の往復が減ります。
教える回数を増やすより、聞かなくても分かる状態を作るほうが、結果として教える回数は減る。
それでも、全部は揃わない
とはいえ、前提を全部揃えるのは無理です。
家族も、同僚も、自分も、毎日同じ状態ではありません。昨日の前提が、今日も正しいとは限りません。揃っていないこと自体が、悪いわけでもない。
大事なのは、揃えることではなく、コストがどこに寄っているかを知ることです。誰かに質問が集中していないか。その人が休んだら止まらないか。そこが見えていれば、少しずつ直せます。
まずは1箇所だけでいいと思います。物の置き場所でもいいし、仕事の手順を1枚にするところでもいい。完璧な仕組みより、続く仕組みのほうがいいんですよね。
まとめ
仕事でも家庭でも、同じことを何度も聞かれるのは、やる気の問題ではありません。判断の前に共有されるはずの情報、つまり前提が揃っていないだけです。
前提が揃わないと、確認の往復が生まれ、そのコストは詳しい人に集中します。仕事には揃える場がありますが、家庭にはありません。だから家庭のほうが、見えないコストになりやすい。
だから、教えるを増やすのではなく、情報を場所と手順に移す。まずは1箇所だけ、聞かなくても分かる状態を作ってみてください。
「言えばわかる」を前提にしないこと。
それが、相手への配慮であり、自分の時間を守ることでもあるんだと思います。
まあ、そんな感じで、仕事も家庭も、少しずつ軽くなっていけるといいなぁという話でした。